ヤガミ・ユマ@鍋の国様からのご依頼SS

『君の全てが可憐』

 小さな体で抱えるように花束を受け取り、彼女は大きく見開いていた目をふんわりと細めるようにして笑った。少し前の悲しげな様が幻であるかのように、黄色の花弁に埋もれた顔は、見える場所だけでも十分幸せの思いが伝わってくる。そのさまに心が温められる気がして、看護士はにっこりと微笑んだ。
「無事退院できて、良かったですね」
 今度は、の一言を飲み込む。
 本来ならもっと前にこのやりとりは行われていたはずだった。それが退院直前の大惨事の為、順延を余儀なくされて。その原因となった痴話喧嘩の相手は、出入り禁止をドクターに言い渡されて以来姿を見せてはいなかったが。
(そうは言っても、退院の日くらい迎えに来ても罰は当たらないでしょうに……)
 花を預かっていると告げたときに彼女が見せた、痛ましいくらいに萎れた様を思い出すと、その表情を浮かべさせた相手にやはり怒りは沸いてくる。
 しかも黄色い薔薇なんて。まぁ男の人が花言葉まで考慮して花を選ぶとも思えないが(特にあの人物は、そんな事に気が回るタイプに見えなかった)。
 そこまで考えて、看護士はふふっと笑った。今は元患者となった少女が不思議そうに見上げてくるのを、首を振ってなんでもないと示しつつ、静まらない笑いを噛み殺す。
 かの有名な黄薔薇の花言葉。それ以外にも、実は幾つか別の言葉があるのだ。そのうちの一つは、まさに彼女の為にあるような言葉。もしもあの人物がそれを意識して渡しているというのなら、ロマンチックで素晴らしいと評価出来るのだけれど。
(あるわけないわね、そんなこと)
 素敵な想像を溜息で断ち切って、看護士は何度も頭を下げながら去っていく少女に手を振った。


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 呼び鈴のボタンまで届いた指が、躊躇いがちに固まってやがて力を失い落ちる。そんな仕種ももう何度目かで、そんな自分に思わず溜息が漏れる。緊張? 今更何を。そんなことあるはずもない、昨日の電話でだって、いつも通り話せたというのに。
 とはいえ、会えない期間が長すぎた。その上その直前の出来事の後味が悪すぎた。
 だからか。馬鹿馬鹿しい、彼女のことで何を気後れする必要がある……そう思ってみても、指先に力がこもらないのは確かなことだった。
 昨日の電話では彼女はいつも通りのトーンで、あの事故についてはなんとも思っていないようだったが。
 ……いや、まてよ。不意に、心の中に疑念が兆す。確かに怒っている様子はなかった。贈った花の礼を述べる声は普通だった。だが……全体的に静かすぎやしなかっただろうか。ヒサ子はもっとこう、ぽんぽんと陽性のエネルギーをそこかしこに跳ね散らかしているようなテンションの持ち主じゃなかっただろうか。突拍子のないことを言い出したりよく話せば判るようなことを勝手な解釈で突っ走ったり……昨日のヒサ子はそれに比べていかにもおとなしすぎた。時間も短かったとはいえ、彼女特有のあのピンボールみたいなすっ飛び方はまったく見られなかった。
 ひょっとして、退院できたと言ってもまだ具合が悪かったりするのだろうか……じわりと心にしみ出した苦い思いに、あれだけ鈍っていた指先の力は速やかに蘇ってしまう。
 二度目のチャイムで、室内に動く気配がした。ぱたぱたと近づいてくる足音は聞き慣れたもので、どんなに耳を澄ましても、そこから不調の影は聞き取れなかった。
 玄関の内側で一度その足音が止まり、カチャリとロックを外す音がした。意識に再び姿を見せた重く硬い感情を全力で無視して、ヤガミは開いたドアの内側を注視した。
「はーい」
 声はいつもと同じだった。現れた姿は……多少服が着崩れてよれっとなっていて常にきちんと結ばれている髪がちょっと曲がっていて全体的に鈍い印象があるとはいえ、やはりいつもとそう変わらなくはあった。少なくとも辛いのを無理に押さえ込んだりしている風ではない。
 ヤガミを見上げたヒサ子は、満面の笑みを浮かべていた。
「いらっしゃい」
 声が軽やかに跳ねている。ようやく胸にのしかかるようだった硬い重みが薄らいでいく気がして、自然と口元がほころんだ。
「退院おめでとう」
 昨日の電話で言いそびれた言葉を、やっと口にする。嬉しげにはにかんだ笑みが愛らしい。
「中にどうぞー。今日は時間大丈夫?」
 大きく玄関のドアを開け放ちながら、ヒサ子はそんなことを言って首を傾げる。どうやら昨日の慌ただしい電話のことを、まだ気にしているらしい。あれはそもそも、一刻も早くここに辿り着こうとした結果なのだが。
「急いできたからな……いや、中は、いい。ここで」
 そう答えつつ、自然と顔をしかめてしまうのは、彼女の危うい部分は結局ちっとも改善されていないと判ったためだ。もっとも自覚を促すような言葉は会えなくなってから口にしていなかったのだから、それも当然と言えるのだが。
 ヒサ子はまったく判っていない様子で首を傾げたりしている。どこかへ行ってしまうのか、などというとんちんかんな言葉に、ヤガミはつきそうになったため息を殺して答えた。判っていたことだが、彼女に女性としての自覚を植え付けるのは、なかなか骨が折れる。
「さすがに女性の家にずかずかと上がり込むわけにはいかないな、病院とは違う」
 顔を覗き込めば、ヒサ子は判断のつきがたい表情でぱちぱちと大きな目を瞬かせ、それから軽く唇を尖らせた。上目遣いの眼差しはしかしきらきらと輝いていて、嫌でも視線を吸い寄せられる。
「ぶー。なんだ、そういう理由かあ……それならあがってもらえた方がうれしいけどな」
 ああまったく……自分がらみであれだけの目に遭っているくせに、まだ彼女は懲りていないらしい。
 やれやれと思いつつ、無意識に微笑んでしまっていることに、ヤガミ自身ちっとも気がついてはいない。警戒した態度を取られたら光の速さで落ち込むだろうことも、自覚していないのだからお互い様だ。
「やめておく。俺は悪い男だ」
 噛んで含めるように、これ以上ない簡潔な台詞を口にして、ヤガミは手を伸ばしやや艶を失った髪に触れる。梳く度にさらさらと指を抜けていく心地よい感触が、失われているのが残念だ。
 じーっと上目遣いで自分を見上げてくる小動物めいた眼差しに、シャワーでも浴びたらどうかと提案を仕掛けて……えい、という可愛らしい声と共に抱き着かれたヤガミは、言葉を失った。今までの抱擁の記憶が、マッハを越えて頭をよぎっていく。
「……やれやれ、お前はゆかりか」
 応える方向に動きかけた手を一度ぐっと握りしめて、そんな言葉を口にしたのは彼女に言い聞かせると言うよりは自分の気をそらすためだった。衝動を脇に追いやってから改めて華奢な体を抱き上げ、玄関をくぐって三和土に彼女の体をそっと下ろす。
「ほら、お姫様はもっとおしとやかにするもんだ」
 彼女がそう呼ばれることを好んでないと知って、あえてそう呼びかける。牽制の目的があっての言葉は、一面彼にとっては紛れもない事実でもあった。
 案の定、彼女は頬をふくらませるようにして文句を言ってくる。それをいなすようにまた髪を撫でて、ヤガミは大きな瞳を覗き込んだ。あとでコーヒーでも、という誘いの言葉を口にすると、ヒサ子は小首を傾げた。
「お外で?」
 ……本当に先は長そうだ。いったいどうしたら、このお姫様は自覚してくれるのだろう。
「喫茶店で」
 ここだけは譲らないぞ、と気概を籠めた一言に、ヒサ子はあっさりと頷いて笑顔になった。なんだか肩すかしを食らった気分になってしまうのは……ひょっとして、考えすぎているのは自分か? まぁそうなのだろう。
(だから心配なんだ……)
「じゃあ、シャワー浴びたら外で待ってます」
 当たり前のように口にされた言葉に、昨日まで病院にいた彼女自身の状況を懇々と諭してやろうかという気になって……ヤガミは溜息をついた。
「……分かった分かった。外で待っている。急げ」
 腕を組んでこれ見よがしに待ちの態勢を作ってみせると、彼女は慌てて家の中に駆け込んでいく。ドアが閉まる寸前にこちらを振り返って見せた笑顔は、ヤガミの胸の内を柔らかくくすぐるに十分な威力を持っていた。


「おまたせしましたっ」
 まさしく駆け込むという表現がぴったりの勢いで出てきたヒサ子は、ヤガミの前でぴたりと足を止めるとへへ~っと眼を細めて笑った。自分を見上げるきらきらとした眼差しをあえて見なかったことにして、ヤガミは手を伸ばし、看過できない状態にある髪に触れた。一目で判ってはいたが、改まって触れればやはり、しっとりと冷たい髪は指に重くかかってきてさらさらとした感触とはほど遠い。
 溜息一つ。
「駄目だな、それでは風邪を引く」
 そうしてまた寝込む羽目になるのだ……またしても自分のせいで。それは到底、許せる話ではなかった。会いたいからといって、無理を強いたのでは本末転倒だ。
「明日な」
 目を丸くした彼女に、それ以上は言わずに背を向ける。そこにぶつかってきた言葉も無視するつもりだったのだが。
「わかりました切ってきます」
 その言葉だけは、さすがに聞き逃せなかった。今にもハサミを求めて室内に駆け込みそうだったヒサ子を、なんとか腕を掴んで引き止める。
「やることがいちいち極端なんだ」
 決意に満ちた瞳を前に、首を振りつつ告げる。こんな大暴投ばかりされては、とてもキャッチボールにはならない。しかも本人にその自覚がないときている。これでこっちを振り回している自覚すらないとしたら、本気で怒りたくなるからな、おい。
 溜息を殺して、ヤガミは笑顔をヒサ子に向けた。
「分かった、俺の負けだ。6時間後にあおう。夕飯でもどうだ?」
 多分に意地が悪い台詞だと自覚した上で告げたのは、いささかの意趣返しの意図があった。それでも譲歩はさせられているのだから、文句を言われる筋ではない……とは思ったのだが、どうやら彼女の見解は違ったようだった。悲鳴じみた抗議の声を上げたかと思ったら、いきなり抱き着いてきたのだ、先ほどのように。
 唐突な、とは思わなかった。
「もー我慢の限界なんですっ」
 べたりと自分に張り付くようにしてミイラになるかも、などと大袈裟なことを言い出す彼女の前髪を、ヤガミは掬い上げるように撫でた。我慢の限界はお互い様だ。いや、自分はまだ限界値まで至ってはいないが、それにしたって。
「会いたかったの!」
 悲鳴のようなそれを、前よりは素直な気持ちで聞いた。
「今会ってるとかいうのはなしですよ。会っていっぱい、一緒にいたいんですっ」
 ぎゅっと拘束するように彼の体を抱きしめるヒサ子の力は、その意図とは裏腹にか弱い。小さな体と細い腕、無理はない。だからこそ、ふりほどくことが出来ない。
 ああ、彼女だな……ごく自然に、そう思った。そう思うことで、自然と口元が笑みを形作る。以前なら受け入れなかっただろう彼女の変化を許容できるほどには、時間は流れていた。会えない時間はそんな風にも、心に作用しているのかもしれなかった。
「誰もヤガミの代わりにはなりませんから」
 こちらを見上げる瞳は、星を宿したよう。まっすぐに、ただまっすぐに響く言葉に、言葉を見失う。なにか、気の利いた言葉を言わなければと頭の中を探っても、言語中枢が消失したかと思うほどに、何も浮かんではこなかった。答を求めるように無意識にさまよった視線が、道を行き交う人のいぶかしげな視線を捉える。
 ふと気がついた。これでは以前の病室でのやりとりの繰り返しのようじゃないか。
「というか、抱きつくのはやめろ」
 自分でも今更だなと思いつつそう言って、その台詞もまた焼き直しに近いなと思い出す。それでも、気持ちは違う。過去に思いが至るくらいには、あの日よりも、自分は落ち着いている。そしてヒサ子も。
「…………やめません」
 か細い腕で更にぎゅうぎゅうとヤガミを抱きしめ、ヒサ子はヤガミの胸元に顔を埋める。離したくないから……そう囁く声は甘さよりも切なさを多く含んでいて、何かを恐れるように震えている。反射のようにその髪を撫でながら何を、と考えて、答は一つしかないとすぐに気づく。今までもさんざんそうやって、彼女に痛みを与えてきたのだ、自分は。
 それが正しいことなのだ、そう思ってきた、ずっと。だけど、その結果はこれだ。痛々しいほどに、自分の拒絶を恐れて震え、息すら詰めるようにして。
 けれどそれでも、彼女は自分に手を伸ばすことを選択するのだ。彼女自身を脅かし傷つける存在へと、恐れても、躊躇わずに。
 自分が正しいと信じたことは、そんなにも大事なことなのか。
 自問の答が浮かぶ前に、ヤガミは口を開いていた。
「いや、外は目立つから」
 これは、拒絶ではない。それどころか、地雷を踏みにいったと言っても過言じゃない。そう判っていても、そう告げることに躊躇いはなかった。
「じゃあ中。玄関でもいーです」
 打てば響くような即答も、予想していた通りのものだった。判っていた展開にそれでも渋い顔になってしまうのは、今も自分の意識の一部を確実に支配している『正しい』考え故のことだ。彼女心底大事に思うなら、貫かなければならなかったと思う、その考え故だ。
 純粋な喜びの表情のままヤガミの手を引いて、彼女は室内に入る。なんとも落ち着かない気分のまま、ヤガミは控えめに辺りに視線を向ける。女性の一人暮らしの部屋をあまりじろじろと眺めるのは失礼に違いないから。
 連れて行かれた先はリビングのような場所で、南国である鍋の国らしく、大きな窓からは強い日差しが降り注いでいる。ソファに腰を落ち着ければ、待ち構えていたかのようにヒサ子も隣に座り、腕をとってぴったりと身を寄せてくる。
「意思弱いな。俺……」
 えへへ~と嬉しそうな顔で顔を覗き込まれて、咄嗟に口をついたのはそんな弱音だった。『正しい』考えに従うとすれば、確かに自分のこの状態は意志が折れた結果としか言いようがない。
 ヒサ子は一瞬きょとんとした顔で目をぱちぱちさせ、それからまたぱあっと笑った。
「そうなんですかね。そうなのかな。うれしいのでわがまま言ってよかったと思ってます」
 飾り気のない言葉には僅かなぶれもない。実に彼女らしいと思うと、少しだけ気分が良くなった。色々言ってもやはり、ヒサ子が嬉しそうにしているのが嬉しいのだ。今更そんなことを悟るなんて、どうかしてると思うけれども。
「ま、今後修行でもしよう」
 そう言って、自分にぴったりと身を寄せているヒサ子の頭を撫でる。そういえば今更ながらではあるが、体調の方は大丈夫だろうか。ハイになりすぎると疲れるだろうし、退院したてではまだ元の体力まで戻っていないだろうし。
「修行ですかー。なんかわたしにとってあんまりうれしくないことになりそうな予感がしますが、まあ、それはその時考えます……なーに?」
 されるがままになっているかと思えば突然ヤガミの頭に抱き着いて、ヒサ子はそんな仕草と裏腹の渋い顔つきになる。さわさわと頭を撫でていく手つきの優しさとかけ離れた表情に、つい笑ってしまった。不思議そうな、気遣わしげな表情に手を振って、ヤガミは細い腰を捉えて自分の膝に小さな体を抱きかかえる。そっと撫でた髪は、だいぶ乾いてきているようだった。
「いや、いいか。まあ、仔犬にじゃれつかれていると思うことにする」
「……犬とかお嬢さんとかお姫様とか仔犬とかなんかあれですね……むむむ」
 叩いた軽口に、ヒサ子は納得いかないというようにまた渋い顔になる。本当にそう思っている訳じゃない、とは、知られるわけにはいかない事項だ。あどけない顔立ちには似合わない表情を宥めるように、髪を撫でる。この綺麗な長い髪を殊の外気に入っているというのも、出来れば知られたくはない事柄なのだが。
「きもちいです」
 吐息に混ぜるような響きでそう囁いて、彼女は鎖骨の辺りに顔を埋めてきた。その体が安定するように肩を抱き寄せ、なおも髪に指を滑らせる。自分も同じだ、とは、言えなかったけれど。
 代わりのように唇を抜けた笑い声は、かつてないくらいに明るく優しい。あまつさえ鼻歌まで紡ぎながら、そんな自分に気づかずに、ヤガミは飽かず彼女の髪を撫で続けた。

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