ちひろ@わかばのリワマヒ日記帳

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zoom RSS 矢上ミサ@鍋の国様からのご依頼のSS-2

<<   作成日時 : 2009/05/14 06:52   >>

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 鍋城の奥深い一室、執務用にと用意されたその部屋で、矢上は一つ息をついて手にしたカップに目を落とした。きぃ、と細い音がして、向けた視線の先、僅かに開いたドアの隙間から王猫の猫一郎が顔を覗かせているのが目に入り、矢上は口元をほころばせてその場に膝をついた。とととっと猫一郎は彼の元まで寄ってきて、せがむようになぁおと鳴いた。柔らかな毛並みに手を伸ばして撫で、抱き上げて膝に乗せる。さすがの貫禄で矢上の腿を圧迫しつつ、猫一郎は気持ちよさげに喉を鳴らし始めた。それに笑みを零して毛並みを撫で、矢上はふっと眼を細める。
 今この世界は多くの危機に翻弄され、誰も彼もが疲弊している。彼の妻たるこの国の女王、ミサの姿もこの数日見ていなかった。
 どこかで無理をしていなければいい、泣いていなければいい……けっして自分に弱みを見せようとはしない彼女は、思い返す心にさえ笑顔で現れる。こんな時には、それが少し切ない。
 自分が彼女のために出来ることは、とうに見切っていた。それはとても単純なこと。彼女の心の平穏を奪い去るものの殲滅、それだけだ。相手が人であれ、ものであれ、状況であれ、対処の仕方は変わっても最終目的は変わらない。
 なんのことはない、今までずっとやってきたことと、それはなにも変わらない話なのだ。彼女の望みはこの地に集う人全ての平穏と幸せであり、その為に戦うことは、今までの彼自身の目的となんのぶれもなかった。
 その手をねだるように掌に頭をすりつけられ、矢上はまた僅かな笑みを唇に漂わせ、猫一郎の頭を撫でる。そうしながら頭の中で、今手元にある情報を整理し、推測し、予測へとつなげる。見落としはないか、意味を捉え違えていないか、繰り返し、角度を変えて思考の網を伸ばす。
 机の上に置かれた紙に、思いついた手配の内容をすらすらと書き、最後にサインをする。そこにあるのはただ自分の名だけで、矢上はふと手を止め、その文字に見入った。
 未だに、彼のこの国における地位はミサ女王の夫であり、それ以上のものではない。公的には、どのような地位にも就いてはいない。
 不満があるかと言えば逆で、むしろその方がありがたい。実務が滞りなく遂行されている限りは現状になんの問題もなく、なにかあれば国に傷がつくことなく泥をかぶれる。
 それに。
 「矢上ミサの夫」という肩書きだけで、自分は満足なのだ。その肩書きは世界にただ一人、自分だけのものだ。それ以外のなにも、必要ないし欲しいとも思わない。
 彼に付けられている秘書官を呼んで、書類を託す。膝に猫一郎を乗せたままというややシュールな執務風景ももはや見慣れたものなのか、秘書官は眉一つ動かさずに書類を受け取って出て行った。再び空いた両手で柔らかな毛並みを撫で、矢上はふと宙に視線を投げる。
 心をよぎるのは遙か昔、まだその肩書きが自分になかった頃の思い出だ。今となっては本当に懐かしい、ずっと昔の。


/*/


「んーとね、お買い物。デートらしいでしょ」
 さらりと口にされた一言に、矢上は眼鏡の奥の目を瞬かせた。貰った連絡では、確かに買い物に付き合ってほしいというような話だった。間違いなくそう聞いていたの、だが。
 ……でーと。とは。
「それとも、ヤガミの行ってみたいとこがあったらそこがいい」
「デート?」
 頭で言葉を追いかけるだけでは飽きたらず、唇が勝手に動いてしまう。さらりと口にされた言葉が、きちんとした意味を持って胸に落ちてこない。
「……」
「ヤガミのデートのイメージとはだいぶ違うのかな」
 こちらの無言が気になったのか、ぱちぱちと目を瞬かせてからミサは矢上の顔を覗き込んできた。丸い瞳にごくわずか、本人さえも意識していないだろう緊張と不安がほの見える。おかしな話だが、そんな表情を前にようやく、引っかかっていた言葉がすとんと胸に落ちてきた。
「んぎゃ」
 叩かれた場所を押さえて、ミサが声を上げる。理解した途端に反射のように手が出てしまったのだ。涙目で見上げられれば多少は罪悪感も疼くとはいえ。
「聞いてない」
「…。ごめん」
 俯く彼女の口元には微笑み。それを目の当たりにすれば、またぐらぐらと気持ちは揺れる。ああでもそうか、これはデートなのか。そういうつもりで、彼女はここに来ていたのか。
「あやまるな、恥ずかしい」
 そして、そんなこと考えもしていなかった自分の不明を恥じるばかりだ。ここ最近の彼女との会話を思い出す。改めて検証してみれば、ただ疲れていて甘えていただけではなかったのかもしれない。自分の気持ちはいかような彼女であっても変わりはしないし揺らがない。彼にとってそれは自明すぎる事実で、だからこそ逆に、もっと初心な気持ちに頭がいかなかったのかもしれない。
「悪かった。せめて洒落た格好の一つでもしてやればよかった」
 思い直した諸々のことも含める気持ちで謝罪を口にする。ミサはまたぱちぱちとまつげを震わせてから、にっこりと笑った。
「いいじゃない。私はいつものあんたが好きよ」
 動揺している分なんだか負けたようになっているのが悔しい。意地っ張りと言わば言え。その余裕げな発言と表情が小憎らしい。いや、小憎らしいというのは言葉の綾のようなものであって、本当にそう思っているわけではないというか、ああ、もう。
 そうした胸の内を悟られまいと、矢上は対抗するようにことさらな笑顔を作り、ミサの顔を見下ろした。
「で、お前だけいい格好をするわけだ。ふふん。そうはいかんぞ」
「えー……じゃあ、どうするの?」
 一見不満げな声の端々から、ふわふわとした笑いの気配が覗いている。ほんのりと微笑むミサの目元を見つめ、矢上は視線をそらした。
「もっとも、俺の場合は服を買うところからだな。あー……」
 なんだろう、この空気は。どうにもむずがゆいような、この感じ。
「……まあ、なんだ」
 あてられているとしか言いようがない。デートというやつの効用は凄まじいものがある。こんなことを、言う気になるんて。
「似合っているな、その服」
 言った瞬間に後悔した。言うんじゃなかった、やっぱり。心臓が飛び跳ねているみたいで、じっとしているのが苦しいくらいだ。それでも動揺なんて悟られたくないから、そこはなんとか耐えはするが。だいたいこんなことは、自分のキャラクターじゃないだろう。
「どうしたの?」
 それなのに、ミサは俯いたこちらの顔を覗き込もうとするのだ。こちらの動揺を見透かすように……いや、それはうがちすぎだろう。二度と言うまいと思っていたのに、瞬く瞳に矢上はあっさりと陥落した。
「似合ってるといったんだ」
 なんだこの羞恥プレイ。
「もういい、いくぞ」
 このふわふわとした空気に包まれていると、もっと恐ろしいことを口走りそうだ。なんとか軌道修正を図ろうと、矢上は文字通り襟を正して歩き出す。
「こんなところで話をしていると、熔けそうだ」
「うん」
 すぐに追いついてきたミサが、不意に目元を色づかせながら首を傾げてくる。ついつい意識を持っていかれた矢上に、ミサはどこか伺うような素振りで口を開いた。
「あ、ねえ。手、つないでもいい?」
 デートなどと宣言しておいて、そんなことをいきなり訊いてくる辺りがよく判らない。
「許可事項なのか、それは」
 反射的にそんなことを聞き返しながら、矢上は手を差し伸べた。ただそれだけで、喜色に顔を輝かせたミサが、大切そうにその手を握ってくる。
「じゃあ今度から確認とるのやめる」
 手を繋ぐ、それだけのことでこんな風に嬉しそうにしているのは、なんというか、見ていてなかなかに満足できる光景だった。昔の方がもっと言動が過激だったような……いや、過激さはそれほど変わっていないかもしれない。ただ……普段のそれとはうって変わった、こんな風に素朴に喜ぶ様を目の当たりにすると、その様子にこちらも嬉しくなる一方で、複雑な奴だとも思いたくなるというものだ。
「変な奴だ。いや、俺の感覚のほうが変なのか」
 思わず漏らした呟きを聞きつけて、ミサは輝くような笑顔を見せた。
「変じゃないよ。よし、行こう行こう」
 その変じゃない、は彼女自身とこちらと、どちらに向けられたものなのか。だが、指を絡めるようにしっかりと手を繋ぎ直して勢いよく歩き出した彼女の様子に、それがいかにも些細なことに思えてもきて。
「ああ」
 彼女のペースに任せて歩き出す矢上の口元には、自身気づかないうちに仄かな笑みが浮かび上がっていた。


 ねだるような猫一郎の声に、矢上の意識は引き戻される。いつの間にか止めてしまっていた手を再び毛並みに埋めて、しかしすぐに気持ちは過去のやりとりへと向かった。
 自分の気持ちについては疑うべくもない。彼女のこちらに対する好意を疑ったこともない。だが、その方向性に関する認識に、いささかズレがあったことは確かだ。元はといえば彼女が判りづらすぎる愛情の示し方をずっとこちらに対して行ってきたからで……これに関しては、自分は責められる立場にはないと思う。
 確かに外見がどうあれ彼女はいつでも彼女自身ではあった。そこを見誤ることはなかったとはいえ……例えば火星にいた時点でその好意に素直な応答をしようとしたら、恋愛難易度は半端でなく高くなるじゃないか、そんなのは。
 いつから彼女の中で意識が変わったのだろう、そう思いかけて、すぐにゆらりと首を振る。そう、もとより彼女は変わっていない。ただ、その表現の仕方が少し変わっただけだ。一風変わった表現方法をとり続けていた彼女が、ごく当たり前の表現を見せるようになった。それをはっきりと理解したのが、あの日のデート、だった気がする。
 

/*/


 咄嗟に家に連れ帰ってしまったのは、動揺の現れだったと言えなくもない。その判断は間違っていなかったと思う。リビングに下ろした途端、ミサが抱き着いてきたからだ。訊きかけた問いを一度中断して、矢上はしがみついてくるような抱擁に応えた。そうしてから、顔を覗き込む。愛らしい顔に浮かぶ陰りの切れ端すら、見過ごさずにすむように。
「嫌なことでも?」
「いやなことは、ないよ」
 嘘では、ないように見えた。少なくとも作り笑顔になっていないだけ、素の彼女がここにいるのか判る。ゆっくりと、後ろでまとめ上げられた髪を乱さないように気をつけつつ、矢上はミサの髪を撫でた。
「なぜしょげる?」
 今度の問いかけには、返事が戻るまでにいささかの時間を必要とした。どんな顔をしたらいいか判らない、といった曖昧な表情で、ミサは小さく震わせた唇をゆっくりと開く。
「……ただ、私甘え方がよくわからないから。よくわからないの」
 どこか幼ささえ感じられるほどの素朴な言葉で吐露された心情に、矢上は息を止めた。咄嗟になんのリアクションも取れないくらいの衝撃は、先ほどデートと宣言された時の比ではなかった。あんまりかもしれないと、そんな考えがかすめたのは言葉が唇をすり抜けたあとだった。
「甘えたかったのか?」
「ふつーのおんなのこらしく、一度してみたかったの」
 自分でも少し恥ずかしいのか、俯いて手元をごにょごにょやりながらミサはそんなことを囁く声音で口にする。
 どうしたことだ、と思う場面でも状態でもないことは判っている。判っているが……どうしたことだろう、今の彼女はどこからどう見てもごく当たり前の女性に見える。当たり前の、とても自分好みの可愛い女性に。
「いまだかつてない状況に俺は驚いている」
 彼女の素直さが乗り移ったように自分の心情を漏らしてしまった矢上に、ミサはぱちぱちと瞬きしてから僅かに頭を傾けた。
「どうして?」
 どうしてと聞かれても困る。自分の胸に手を当てて考えてみろ……そう言いかけて、矢上は唇を引き結ぶ。かつての異なる外見だった彼女には言えたかもしれないが、今の彼女には言えない台詞だ。ごく自然にそう思えてしまうことも、またなかなかの衝撃なのだが。
「いや、別に。ただ、とまどっただけだ」
 軌道修正した言葉の元は、それでもなんとなく伝わってしまったようだ。ミサはなにかを堪えるような崩れた表情になって、その顔をふいと背けた。
「いやならいい」
 これが当てつけや駆け引きの言葉じゃなく、本気なところが困ったものなのだ。無意識なのか遠ざかろうとする体を引き寄せ直し、矢上はそっぽを向いたミサの頬に唇を落とす。意識してよりもずっと愛情の籠もったものになった唇に、押し当てたままくすりと笑いを漏らして。
「いじけるな。お前はいじけると長い」
「……」
「俺の好みを長年話し続けてきたのがくやまれるな」
 頬から耳元へと唇をずらしながら、からかうように囁く。くすぐったいのかダウナーがかった気分の後遺症なのか、ミサは首をすくめるように身をちぢこませながら猫のようにうなった。
 ああそうだ。彼女は、自分の女は、こういう娘だった。
「好きだ」
 赤く色づいた耳元に吐息混じりに囁く。弱々しくもがくのを逃さないようにしっかりと抱いて。
「愛している」
 ぴくっと震えたからだから、こわばりが解ける。鎖骨の辺りに顔を埋め、ミサが小さく頷くのが肌越しに伝わってくる。
 かけられた重みはまだ躊躇いがちなもので、もっともっと、重くてもいいのにと思う。もっと全身を預けて、受け止めさせてくれればと。
「だからいじけるな。すねるな、へんなところで傷つくな」
 そこだけは真摯な気持ちで、(いやその前だって真摯と言えば十分真摯なものではあるが)ちゃんと伝わればいいと願いつつ丸い頭を抱きかかえて囁く。
 ううー……とまたうなり声を上げたミサは、不意に女の腕には精一杯の力を込めて、矢上の体に抱き着いてきた。
「へんなところじゃないもん」
 拗ねたような口ぶりが嬉しいなんて、おかしいだろうか。拗ねるなという言葉は撤回だ、自分の前だけではそうすればいい。いつでも相手になるから……そこまで考えて、不意に気恥ずかしくなってくる。我ながら、蕩けた思考過ぎるだろう。それもこれもみんな彼女が悪い。こんな風に次々に、今まで見せなかった態度を見せてくるから。引きずられるじゃないか。
「いや、あのな。甘え方もなにも……だから、お前がやってるのが甘えてるんだ」
「ばか」
「耳噛むぞ」
 肩を弱々しく叩く手を押さえて意趣返しのように囁く。ここまできたらもう一蓮托生死なば諸共だ、ああ、だんだんなにを言ってるのか判らなくなってきた。
 小さく息を飲むようにして、ミサがまた弱々しくもがく。見下ろした耳は真っ赤に染まっていて、ふっくらと柔らかだ。その上。
「耳はだめ。きっとすごい恥ずかしい」
 そんなことまで言われたら、そうせずにいられなくなるに決まっている。逃れようとする淡い抵抗をぐっと抱きしめることで封じ、耳朶の外縁に沿って唇を滑らせ、力を込めて。
「うあ、ば、ばかー……っ」
「そういわれると、やりたくなるだろ」
 また弱く肩を叩かれて、耳朶を口にしたまま笑ってしまう。くすぐったいのか身をすくめる仕草に、肩の柔らかな丸みや甘い腰のライン、うなじの辺りから立ち上る香気を不意に強く意識させられた。
 意識させられたことに、眩暈がした。
 変に思われないように気をつけつつ、身を離す。さいわいミサもいろいろと動揺を引きずっているらしく、こちらの唐突さには気がついていないようだった。
「それはそうとして、プレゼント買いにいくか」
「私まだ顔赤い…けど、いく」
 平静さを強く意識しながらの発言に、両手で両頬を押さえてうなっていたミサは、泳がせていた視線を矢上の胸の辺りに向け、こくりと頷いた。
「悪かった……顔冷やすか?」
 なんとなく悪いことをした気に盛大になって、そんな風に水を向ける。はたはたと頬を叩いていた手を止め、ミサは得意げに笑って胸を張る。
「ううん。外歩いてたらすぐ戻るよ。私平静を装うのは得意なの。たぶんね」
 そんな言い方でごまかされると思うのか。そもそも誇るような話じゃないだろう。というか、ああ、もう。
 矢上は再度ミサを抱きしめた。
「だから、変なところで傷つくな」
 柔らかな体に回した腕にぎゅっと力を込め、さらさらとした髪を一度撫でてから、腕を解いて解放する。
「傷ついてない。どういう顔していいかわかんないだけ」
 見返したその顔は、確かに言うような曖昧さを漂わせていた。それが、不意に目の覚めるようなクリアさで、意志ある顔付きに変わっていく。
「近くにいたいの」
 こちらが離れた分だけ歩を詰めて、ミサは訴えるというよりは宣言するというような力強さでそう告げる。その言葉に、それでも消し切れない切なげな色を潜ませた瞳に、抗うことなど


 目を閉じて、矢上は脳裏を飛び交う記憶を強制シャットダウンした。これ以上は思い出したくない、いろんな意味で。思い出しただけで、甚大なダメージを再度喰らいそうだ。
 またしても止まっていた手の動きを再開しようとして、猫一郎が眠ってしまっていることに気がつく。特に誂えられた最高級の寝床より自分の固い腿がいいというのだから、つくづく変わった猫だ。
 無意識に微笑んだまま彼を起こさぬようにそろそろと丸い背中を撫で、寄ってくる変わり者は猫だけじゃないななんて、ふっと思う。
 総じてあの時は、二人ともたいした混乱ぶりだったように思う。自分は彼女の変化に振り回されたし、彼女の方もなぜかこちらの反応を伺うような所作が多かった。まぁ彼女の場合は、こちらの混乱に振り回されただけかもしれないが。
 それでも、混乱のさなかに交わした口づけの味だけは覚えている。身を擦り寄せ、唇に触れてきた彼女の吐息、温もり、柔らかさまで、鮮明に。
 ……断っておくが、断じて自分はむっつりなどではない。そんな、誰にしているのか判らない言い訳を脳内に大文字で刻み付け、矢上は自然とまた回想のさなかへと意識をたゆたわせていった。


/*/


「どんな時計があるかな?」
 誕生日祝いの品をと請われ、時計店の前で足を止めたときのミサの一瞬の表情は、表現しがた過ぎるものだった。いったいどうしたのかと問う前に、それは彼女の顔から溶け去るように見えなくなってしまったけれど。実に楽しげな笑顔で質問され、微笑みを返す。
「今となっては女物だな。金属アレルギーは?」
「ないよ〜。ヤガミが選んでくれたらなんでもいいよ。選んで欲しいの」
 そんなことを言われては、ますます気合いが入ろうというものだ。矢上はミサの細い手を計るように引きながら言った。
「革でもいいが、どうするか迷うな」
 わくわくしているのが丸わかりのきらきらした目を向けられて、手首に視線を落とす。だいたいのイメージは既に持っている。あとは彼女の意見を取り入れて、それに当て嵌まりそうな品がここにあるかどうかだ。
「チェーンタイプと幅広の革と、どちらがいい?」
「んー、チェーンタイプかな。」
「金と銀が主力だが、どちらがいい? 銅色もあることはある」
「銀色がいいな。金はちょっと私にはハデかもしれない」
 リサーチにすらすらと答えていく彼女の、国王の地位を忘れたかのような発言に、思わず口元が綻ぶ。
「黒髪には銀が、金髪には金が似合うものだ……だが銀もいいな」
「そうなんだ。うん、ヤガミの選んだほうがいい」
「機関部は円形でなくていいだろう?」
「うん。あ、でもかわいーのがいい」
 なんとも女性らしい発言に、頭の中でまたしても軌道修正を図る。ガラスケースの中にじっくりと視線を走らせて、選んだのは花をモチーフとしたダイヤのちりばめられた腕時計だった。一見ブレスレットにしか見えない構造で、蓋をずらすことによって文字盤が露出する仕掛けだ。
 腕をとって手首にそれを嵌めてやると、ミサは嬉しげに手首を目の高さまで持ち上げた。輝く花のちりばめられた蓋を、目を輝かせてずらして見ている。その間に、矢上は商品保証書に目を通す。
 僅かに頬を紅潮させ、ミサは手を上げたまま矢上に笑いかけてきた。
「すごいね、かわいいの見つけたね」
「合計21カラットか。よしこれにしよう」
 これならば、一国の王の持ち物として差し支えない。その上これほど喜んでくれたのなら、どこにも問題はないだろう。
「いいの?」
 詳しい値段は判らないだろうが、高価なものだとは当然判るだろう。カチリと蓋をした手元に視線を落としてから、ミサは上目遣いに矢上を伺う。その様子にまた、苦笑を誘われた。
「藩王が身につけるのに、庶民的では困るだろう」
「そういうのはあまり気にしないのよ」
 気にしろ、というのも無理な話だろう。それにどちらかといえば、そういったものにこだわりのない方が、彼女らしい。彼女の腕からそれを外して会計を頼み、改めて矢上はミサに向き直る。
「普段使うのはまた今度な」
 そう告げると、ミサはにっこりと笑って唐突にこちらの腕に抱き着いてきた。
「わかった。お仕事中はずっとつけるね」
 ヤガミは笑った。
「影で見守ることにする」
「日なたに来てくれたほうが、嬉しいけどね。がんばる。ありがとう」
 冗談めかして、それは本音だろう。かといって強引には押してこない。そうした聡明さも、数多ある好ましい部分の一つだった。
「さすがに俺は冴えないからな」
「そうでもないよ?」
 同じように冗談めかして返した一言に、彼女はそう言い返して笑った。
 会計が終わり、つけて帰ると告げておいた通りに再び手元に時計の乗った台が差し出される。先ほどと同じように手づからそれをつけてやると、ミサは時計と矢上に交互に視線を走らせ、心からの喜びに満ちた笑みを愛らしい顔いっぱいに浮かべた。
「ありがとう、大事にするね」
「そうだな。さすがに毎年買うのは無理そうだ」
 衒いのない礼の言葉に、若干の照れ隠しも含めてそんな答えを投げる。笑い声を上げて、ミサはもう一度矢上の腕に抱き着いてきた。
「もう一生分もらったよ」
 これで一生分と言われると、それはそれで困る。あげられるものなら幾らでも、どんなものでも、そう考えてもいるのだから。
 不意に立ち止まったミサが、直前までの笑顔とはうって変わって不審な空気を漂わせつつ、すっと身を引いた。時計屋の前で一瞬見せた表情とそっくりなそれに、思考が閃く。ああ、そういうことか……密かに納得した矢上に向かって、ミサは綺麗にラッピングされた箱を差し出してきた。微妙に視線が泳いでいる感じが、なんとも、可愛らしいというか。
「そしてその、こんな素敵なの貰った後でわりと出しづらいんだけど…これ、もらって」
 開けた箱に中に鎮座するのは、思った通り時計だった。シンプルなシルバーの、懐中時計。取り上げて裏を返せば、文字が彫られている。唇だけを動かして、矢上はその文言を読んだ。

---------When it is dark enough, you can see the stars.
     While there's life,there's HOPE.
      Fortune favors the bold.------------------------

「ひねくれた私が彫った文字があるけど」
 そっぽを向いてそんなことを言う彼女の様子は明らかに照れ隠しで。いっそ爆笑してくれとでも言いたげな横顔を視線を上げて見つめ、ヤガミはそっと深く微笑んだ。
「そうじゃないかと思った」
 視線だけを矢上に向け、隠しようのない頬の赤みをごまかすかのようなぶっきらぼうさで、ミサは引き結んでいた唇を解く。
「あんたを大事に想ってるのに、かわり、ないから」
 微笑むばかりの矢上の様子を確かめるように一瞬眼を細め、ミサは矢上へと向き直った。
「少し早いけど。ヤガミも、おたんじょうびおめでとう……黒髪には銀が似合うんでしょう?」
 ようやく見せた微笑の上で、かつてと今の彼女の面影が交差する。
「そうだな」
 思わず苦笑を漏らし、矢上は時計を見下ろす。素朴で真摯な祈りの言葉。それはただの祈りと言うよりは、いつもの彼女と同じ、高らかな宣言のようにも思える。言葉の中に彼女の姿を見いだして、矢上は目元を和ませた。幸運の女神とは、彼女のことだ。命ある限り寄り添うと告げる、希望もまた。
  鮮烈な愛の言葉に籠められた加護は、きっと生涯、自分を守ってくれる。
「俺の墓にはこれを入れてもらうことにしよう」
 冗談めかした言葉は本音。狙いよりもしみじみとしてしまった響きに、ミサは瞬いた目元に愛情をたっぷり含んだからかいの笑みを乗せる。
「あれ? 私は入れてくれないの?」
「……それは考えてなかったな」
 顔を覗き込まれて、苦笑する。腕を伸ばして、腰をさらうように抱き寄せる。今だけは恥ずかしさを封印して、贈ったダイヤよりももっと煌めいている瞳をのぞき込み、告げよう。贈られた愛の言葉と同等の言葉を。
「自分でふって悪かったが、どうせなら一緒に」
「ずっと一緒にいたいの」
 言いかけた言葉とそっくり同じ言葉が、彼女の唇から放たれる。一瞬虚を突かれ、言葉は途中で宙に消えた。
 先ほどの口づけと同じ、もっと言えばその前から変わらない、これが自分たちの構図ということだろうか、やはり。
「そ、そうだな」
 どうにも締まらない一言を呟いてしまい、二重の意味で照れくさい。同じように頬を赤くした彼女は、それでもしてやったりというような、いたずらめかした、どこかで見たようなそんな笑顔を、矢上に向けた。


 あの日から肌身離さずつけている時計を、手のひらに乗せる。裏を返して読む文言は、もうとうに自身に刻みつけられている。
 死後に持って行けるのは思い出だけ、そんな風によく言うが、だとすればこの言葉はレテ河の水ですら洗い流すことは出来ないだろう。これほどまで深く、魂に根付いているのだから。
 そうして、この言葉を、この言葉を贈った彼女の心を、信じている。それは本当に当たり前のことで、改めて言うことでもないかもしれないが。
 信じるという思いは、力強い翼のようなものだ。その思いがあるから、飛べるのだ。虚空も嵐も、なに一つ、恐れずに。
 自分は、そんな思いを彼女に抱かせることが出来ているだろうか。そればかりは、判らない。そうだといいと思う一方で、だからといってむやみに飛び回られるのも困るなと、そんなことを思って苦笑して。
 大切に懐深く時計を仕舞い、矢上は一つ伸びをしてから、猫一郎を抱いて立ち上がった。その眠りを乱さないようにと気をつけつつ、彼の寝床へと向かう。明日には、彼女に会えるといい、そうささやかに祈りながら。

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